丸芭呂具。~犬2、猫1、ヒト2の日々~

犬はラブ、猫は白黒、ヒトは地味。――初めての方はカテゴリの「はじめに」からどうぞ――

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どうか。

みんな、もっともっとゆっくり大人になって。
そんなにどんどん大きくならないで。


私の背中におんぶされて泣いていた子が、
制服を着て立派になった姿を見ると
たまらなく切なくなります。


……どうか。
私たちを、先生たちを、そしてお母さんをおいていかないで。
そして、もっともっとゆっくり大人になって。




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長い付き合い・2。

自転車に乗ったり買い物が大好きだった、ゆきこさん。
久しぶりに会った彼女は、一時期の激しい不安定な状態からは
解放されていたようです。


彼女の20代のほとんどの期間、毎日のように続いていた
不安定な状態とは……。

〇大声を出し歌い続ける。昼夜を問わず。
〇気に入らないことがあると服を着たままどこにでも排泄してしまう。
〇ガラスや皿、コップなどを割る。
〇家や作業所のどこへいても、外へ飛び出す。
〇そして本当に息ができなくなるまで走り続けるので、
 道端でばったり倒れているところを発見される。

もちろん飛び出しについては、家の方や作業所の職員も
非常に強く留意していたことで、実際に行き倒れになってから
保護するという頻度は、そう高くはありませんでした。

ただ、いったん家を出てしまうと走り出してしまう。


ゆきこさんの家族は、お父さんもお母さんもお兄さんも妹も、
全員陸上の選手でした。


ゆきこさん本人も、学生時代にはリレーの選手として
競技に参加した『足』の持ち主。

ものすごく足が速い。


一緒に散歩をする作業所の職員やヘルパーも、何とか彼女に
おいていかれないよう、毎日必死には走ったものです。


その時のゆきこさんは、精神的に不安定ですでに
会話も成り立たなくなっていました。

でも、走っている時はとても楽しそうで、嬉しそうでした。
だからこそみんな、ぜいぜい言いながらも彼女と一緒に
走っていたのです。


現在のゆきこさんは、もう走ることはありません。
発語も全くなくなりました。
食事も自分では食べることができず、毎食介助が必要です。


わざわざ自分から搾り出していたオシッコも、コントロールが
できなくなり、今は24時間オムツをあてています。





どうしてこうなったのか、明確な理由は分かりません。


「年をとった。」
「薬で過緊張を解き解すことはできたけれども、必要な筋力が低下した。」
「過緊張(不安定)のまま生活するには限界があった。」
「本人の気力が低下した。」


分からない、分からない。
この状態がいいのか悪いのかも、分からない。





ただ、私は泣けて泣けて仕方がありませんでした。
あの時、一緒に走ったゆきこさんは、どこに行ってしまったのだろう、と。




長い付き合い・1。

福祉職に携わって20年弱。

長いような短いような時間ですが、自分も仕事で係わった人たちも
皆、確実に年齢を重ねています。


普通に年を取ることに対しては、しみじみとはするけれど
悲しくはありません。


出会った頃は可愛い幼稚園児だった男の子が、今や立派な社会人。


つるりんとして可愛かったお顔に「ヒゲ」が生えてたりすると、ああ、
切ないわあ、とは思うけれど、それもまた嬉しいできごとだったり
するのです。


これは誰にでもある「普通の変化」だから。





ただ、普通でない変化がある人もいます。


先日、約5年ぶりに会ったゆきこさん。


一番最初の出会いは私が就職1年目、彼女は高校3年生。
ぴちぴちで可愛かった彼女も、今は30代半ば。


途中何度か途切れたことがあったものの、これまでお付き合いが
続いてきました。


ただここ5年あまりは、何かとお互いの都合が合わないことが多く、
お目にかかることもなく過ごしていました。


学校に通っていた頃の彼女は、知的にハンディがあるというものの
自分で何でもできて、バスにも乗れるし、

ちょっと苦手でも字を書いたり計算をする勉強も頑張っていました。


自転車にのって友だちの家に遊びに行ったり、
買い物好きでダイエーや三越に行ったり、
おしゃべりが好きで、家族や学校の色々なことを話してもくれました。


いつも朗らかで、笑顔がステキで、みんなに愛されていたゆきこさん。


そんな彼女は学校を卒業してから作業所へ通い始め、
様々な内容の仕事に一生懸命取り組んでいました。


『一生懸命頑張れるから、まだまだできるから、
もっといろいろなことをやってみたい。』


『もっともっと努力して、
もっともっとお給料をもらえるようになりたい。』


こういった気持ちはとても健全で、当たり前のことのように思えます。


しかし、こうした「思い」と現実に「自分ができること」との違いや、
周りから受ける評価は彼女にとっては少し辛いものだったかも
しれません。


それに加えて、ゆっくりと成長してきた彼女の「心」は、
まだ思春期の頃と同じような状態だったのでしょう。


とても不安定で、その不安定の度合いが学校を卒業してから
ますます強いものになっていったのです。


彼女は30代半ばになるこれまで、
何度も精神のバランスを崩してきました。


そんなゆきこさんに起こったできごとは、
ハンディのあるなしに関係なく、
誰にでも起こり得ることなのではないかと思うのです。


(少し続く。)




ウンチ、おしっこ。

お話しができる子どもたち――小学生から中学生くらいまで――は、
ある一定の時期「ウンチ、おしっこ。」と連発してくるようになります。


ハンディがある子もない子どもも一緒ですね。


小学校低学年くらいまでは、ウンチ・おしっこのネタ、
みんな大好きですから。




「ごめんなさい。いい子にするからあ。
 バカ!ウンチ!!ママ~。おしっこ!」


何を言っているんでしょう。
でもこの位で動揺していてはこの仕事は勤まりません。



「沢さーん、ただいま。黒いウンチ。くさ~い♪」


はいはい、くさいね~。黒いウンチなら、なおさらでしょうね~。



「もういいよ!!なにさ!ウンチ~、おしっこ~。」


うーん、多分、すごく腹立たしいんでしょう。最後の言葉がその度合いを表しています。



――ねえねえ、私を構って、僕を構って――
――ねえねえ、何かお話ししようよ――


覚えたての「刺激的」な言葉で、簡単に大人たちを
振り向かせることができるもの。


彼らは日々の生活の中で、ちゃんとそれを体得してきているのです。





お母さん方は、よく悩まし気に相談してこられます。

「最近、汚い言葉をよく使うんですよ。」



大丈夫。
使わなくなります。


もっともっと楽しいことがいっぱい表現できるようになれば、
ウンチ・おしっこなんぞ取り立てて特別なモノでもなくなりますので。





「そんなこと言うんじゃないのっ!やめなさいっ!」


あ、お母さん。

その注意の仕方じゃ、一生ウンチ・おしっこの呪縛から
逃れられなくなりますよ~。




帰りたいんです!

家族がどうしてもはずせない用事がある時に、
ご本人を「お預かり」することがあります。


家や学校や作業所など日常の環境以外の場所で過ごすことに、
全く抵抗がない人、

ものすごく抵抗する人、

慣れるまでに時間がかかる人、

とその状況は様々です。





ものすごく抵抗する人。


自宅へ迎えに行くと嫌がって床にひっくり返って騒ぐ人、
お母さんに殴りかかる人、いきなり窓ガラスを壊す人と
抵抗の仕方も様々で、いくらプロとはいえ私たちもドキドキものです。


でも、ちょっとおもしろいこともあります。


同僚が公用車を使わず、自家用車で迎えに行った時のこと。


最近の車はパワーウインドで運転席から作動をロックすることが
できますが、その時の車はなんとハンドル式で窓の開閉をする
タイプのものだったのです。


つまりロックできない。


その車にわあわあ言って抵抗していたりょうちゃん
(小学校6年生・男子)を何とか乗せて、事業所へ向かって出発。


しばらくすると後部座席に乗っていたりょうちゃんが、
走行中の車の窓をするすると開けて、
道すがら歩いている人たちに大声で訴えたそうです。


「りょうちゃん、家に帰りたいんです~!!

 りょうちゃん、家に帰りたいんです~!!」


私たちは事業所でその話しを聞き、腹をかかえて笑って
しまったのですが、同僚にしてみれば誘拐犯と間違われるんじゃ
ないかとハラハラしていたそうです。


でも、おかしい。


こういうことで笑えると、みんなと一緒に過ごすことが
もっともっと楽しくなるのです。





★コメント★

「助けて~助けて~」かあ。
ぷふふ。
そういえば、どんな時でも「ママ!ママ!」って言う子が
いました。
お母さんに手を引っ張られてても「ママ~!ママ~!」って
言うもんだから、その母上も「いつも気が気じゃないのよっ」
て文句言ってましたっけ。

2007-10-09 投稿者 : 沢 丸芭 URL 編集
[C5]
あはは。
同僚さんの気持ちがわかるわ~。
うちのチビの方は
ちょろちょろ動いていなくなったときに
私がつかまえると
「助けて~助けて~」と大声で周りに訴えていました。
記憶するかぎり、この言葉が周りに訴えかける
言葉としては、初めての言葉だったような。
初めての言葉なのに、やーめーてーと言いたくなったのよ、うふ。
2007-10-08 投稿者 : ムーコ URL 編集

好ましくない行動。

好ましくない行動とは。

例えば物を壊す、人をひっかく、突然大声を出す、
人前での性器いじり、等々。


これはサインです。

言葉をコミュニケーションの手段として上手に使えない人たちが、
自分の気持ちを人に伝えるためのサインなのです。


それでも好ましくない行動はして欲しくない。

根気強く「好ましくないことなのだ」と教えていくことはとても大事です。

ただ、魔法にでもかかったかしらと思うくらい「好ましくない行動」が
ふと消えてしまう時があります。


それは 『気持ちが安定してきた時』 。


周囲が自分をよく理解してくれる人だけだと分かった時に、
この好ましくない行動は、劇的に減少していきます。


それは家族の中であっても、もしかしたら10年以上の時間を
要するかもしれない。


何かの事情で施設に入所することになり、
見知らぬ人の中で生活することになれば、
その関係性は一から構築しなおし。


それでも必ず、その関係性は確立されます。


本人が安心して日々の生活を送ることができるという経験を、
毎日少しずつ積み重ねていくことができれば、

という条件つきですが。




いっしょがいいならなぜわけた。

いっしょがいいならなぜわけた。
という題名の本があります。


うーん。
そうですよね。

いっしょがいいなら、何で分けたんだ?


養護学校と普通学校。
特殊学級(最近では特別支援学級)と普通学級。


交流教室とか、特別授業とか、交流会とか、協力学級とか、
協力校とか、であいの会とか。

何だ何だ?

ハンディのある子どもたちは、「協力学級」に協力してもらって
「特別授業」の時間の時だけ、
その子のためだけに協力してもらってるのかい?


うーん、うーん。





……何か、イヤだな。





この問題はとてもデリケートな問題です。
では、なぜデリケートになってしまったかというと、
『最初から分けてしまったから』 ではないでしょうか。


ハンディのない子どもが、私立の小・中学校へ進学するのとは
ワケが違います。


もちろん最終的には保護者が決めたことにはなります。


でも『振り分けられている』という気がするのはナゼ?



ハンディの重い子は養護学校。
軽い子は特学。
もうちょっとがんばれそうな子は普通学級。


うーん、うーん。

なんでなんで?
みんな一緒でいいじゃない?


ハンディのない子どもの迷惑になる?


冗談じゃない。
こういうことこそが、一番の勉強なんだ。


学校は社会の縮図。
色々な人がいてこその社会。


それを小学校のうちから振り分けておいて、
わざわざ「交流教室」なるものを開催し、

『さあ、今日の2時間目は〇〇養護学校のオトモダチと
交流しましょう。』とは!!


簡単なことなのに。


クラスの人数が12~13人程度に抑えて、特別支援の教師もつく。


ハンディのある子が「特殊学級」から「協力学級」に
「交流」しに行くのではなく、どんな子も必要に応じて
小さなグループに分かれて勉強する。


……ダメ?




★コメント★

どうして分けなければならなかったんでしょうかね?
そう言えば、私も分けられたことがありました。
高校受験の時にはいわゆる「あまりレベルの高くない」
学校を受験するグループに。
高校に入ってからは「成績順」のクラスに。
私たちは劣等感や優越感を抱かなければ「レベルの高い・
低い人たち」であろうとなんであろうと、一緒に過ごす
ことができますよね。
そういった場面を自分だけの力では設定できない人たちは
一生振り分けられたままなのでしょうか。
あいや、これはコメントの返事になっていないですよね。
鍵コメさま宛でした。
2007-09-16 投稿者 : 沢 丸芭 URL 編集

[C] 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007-09-16 投稿者 :

チビって言われないように……。

先日、ある方にお呼ばれをしてホテルで会食をしてきました。

その席には小さな子どもからお年寄りまで、様々な人が集まり
食事や会話を楽しんでいました。


そのなかで、すぐ近くにいたおばあちゃんと学校に上がる前位の
お孫さんとの会話が、どうも心にひっかかっています。



孫  「おばあちゃん、〇〇ちゃんがね、あたしのこと、
    チビって言うんだよ。」

祖母「そう。じゃ、ご飯いっぱい食べて大きくなって、
    チビって言われないように しなくちゃね。」



これだけです。

でも私はたったこれだけの会話で、とても悲しくなりました。


どうしてチビじゃいけないかな。
どうしてチビって言われないようにしないと、いけないのかな。


きっとこのおばあちゃんは、全く悪気はなかったと思います。


でもできるなら、チビでもいいんだよと言って欲しかった。


この世の中には大きい人も小さい人も、強い人も弱い人も
色々な個性の人がいて、

誰もが幸せに暮らせるし、暮らせなければいけないんだよと。


だからあなたも自分以外の、自分と違う人のことを
大切にしようねと、そう言ってほしかった。


何の力もない私はこういう場面に出くわすと、自分の非力さを
ただただ悔しく思うばかりです。


いつか、私がもっともっと自分に自信を持って、
人に意見を言えるようになったら……。


それは自分の個性と相容れないことのような気もしますが、
私にとっては一生かけて取り組まなければならない、
宿題なのかもしれません。



大変な家族。

おじいちゃんは要介護。

移動は車椅子、食事は手伝ってもらいながら何とか自分でも
食べられる。

そんなおじいちゃんはテレビが大好きで、おしゃべりが好きで、
家族の人気者。



おばあちゃんは、元気はつらつ。

そこの家の中心人物。
でももう、80代半ば。



お父さんは脳卒中の後遺症で、歩くのが少ししんどい。

それでも会社に勤め続けて、もうすぐ定年をむかえようとしている。



お母さんは糖尿病の影響で人工透析を受けるために、週2回
通院している。

大変なのよ~、といつも楽しそうに(?)透析の様子を報告してくる。



長男は東京で就職。

たまに帰省すると、お母ちゃんのために弟たちの世話を一手に
引き受けている。



次男は自閉症で通所の作業所に通い、ごく簡単な仕事をしている。

てんかんの発作が頻発で体も大きく、常に配慮が必要。
独りでの移動は大変危険。

それでもバスに乗るのが大好きで、ヘルパーに付き添ってもらい、
休みごとに町中を周遊して歩くのが彼の楽しみ。



三男は軽度の自閉症で、農業主体の作業所へ通っている。

自分のやりたいこととやれることのジレンマに陥ることがあり、
精神的に不安定になりやすく、周囲のフォローが必要。

それでも休みの日には、自転車に乗って映画を見に行くのが
楽しみでもある。





本当に大変な家族だと思います。
でも、この一家はどういうわけかいつも楽しそうに暮らしています。

大変な分、みんなで助け合って、支え合って、
お互いの大変さすらも家族の中の話題と笑いの源になっている。


幸せに暮らすということは、難しいようで案外簡単なことなのかも
しれません。

もしかしたら簡単なようで、とても難しいのかもしれないし。


どっちかな。




8月6日。

今日は広島に原爆が投下された日です。

私の福祉的日々の生活から少し離れますが、思ったことを。



これまでも原爆の記憶を風化させないために、
辛いできごとを語ってきた方々が大勢います。


しかしここにきて、今まで重く口を閉ざしていた人たちの多くが
原爆の体験を語り始めたそうです。


どうして、今まで語らなかったのか。


私の想像などはるかに超えた次元で経験した、
辛く悲しい思いをどうしてわざわざ思い出すなんて!

下世話な言い方をすれば、それは傷口をえぐるような作業です。


できることならきれいさっぱり忘れていたい、
すっかり忘れてしまいたいと思うのが普通の人間でしょう。



それでも語り始めたのは……。

『語らなければならない』と思わされる、危機感ではないでしょうか。


この国はやはりどこかおかしい。


命を削られるような辛く悲しく恐ろしい体験をした人たちに対して、
そのことを忘れて心安らかに過ごせるようにするのではなく、
思い出させてしまうような負の力がある。


どうして辛い人、大変な人があえて大きな声で
「大変だ!」と言わなければならないのだろうか。


ハンディを持った人々や親たちは「こんなに大変だ!」
と言わなければ何も変わらないという。


なぜ?

大変なことぐらい、どうしてみんなで理解しようとしないのか?



この国は、やはり、どこか、おかしいと思う。


そして、それは、とても、悲しいことだ。




声。

自閉症の方の中には、『アーアー』『ウーウー』というような、
繰り返し声を出すという、常同行動が多く見られます。


以前あるお母さんに「この子達って息するみたいに、ワーワー
声を出しているよね。」と言われたことがありました。


確かに「今、この呼吸が大事なんだスーハー」とする人は、
誰もいないですよね。


どうするもこうするもなく、必要に迫られて誰しもが息をします。

まるでその呼吸と同じように、声を出さないと生きていけない
みたいだ、ということをそのお母さんは言っていたのでしょう。



概ね、この声出しは確認作業です。

一定の声を出す、手を目の前でひらひらする、口をぽこぽこならす。

こうして自ら刺激を作り出して、自己の確認作業をしているのです。


ハンディのない人が自然にやってのける、家族や友人との
コミュニケーションによるアイデンティティの確認(あるいは確立)は、

コミュニケーションの能力にハンディがある人にとっては、
かなりハードルが高い事項です。


そこで、何らかの別の方法で自己の存在を確認する。

上記の常同行動が見られる訳です。


どうしても声だしが収まらない時には、適度な刺激を与えると
収まることがあります。


一定のリズムで、ポンポン、ポンポン……と刺激を与えのです。

「この刺激、このリズムは自分自身の体が感じ取っているもの。
 自分は確かにここに存在しているんだな。」

こんなふうに、思っているのではないかしら。


大体のところはあたってる気がするんだけど。


マイノリティ。

今日仕事関係の集まりがあり、以前の職場の同僚や夫関係の
知り合いの方など、たくさんの人と久しぶりに会いました。

(夫は同業種。職場は別です。)


さて、久しぶりに会うと仕事の話しももちろんですが
「今日は暑いですね。」と言うのと同じような感覚で、
「お子さんはまだ?」と聞かれます。


また5~6年ぶりに会った人が結婚していて、
子供を2人連れていたりする様を見ると、

この年で結婚していて子供がいないということは、
私はマイノリティ(少数派)なんだなあ、

と実感させられます。


子がいない――マイノリティな――己を受け入れ難いと言う人も
多いことでしょう。

私はあまり気になりませんが。



前置きが長くなりましたが、ここからが本題。


結婚すれば子供が生まれて、
子供が生まれれば学校に行き、
その子供がちょっとした問題をおこしたり、
書いた絵がコンクールで入賞したり、
受験に成功したり失敗したりして成人し、
その子がまた結婚。

ノーマリティな人生の流れはこんな感じでしょうか。


しかしハンディを持っている――マイノリティの――人は、
必ずしもこのような流れに沿って生きていくとは限らないのです。


最近は少なくなりましたが、今から10年くらい前までは
出生時の名簿や学校の名簿が業者に出回ったりして、

ある時期になると様々な勧誘の電話やダイレクトメールが
それはもう、じゃんじゃんきたものです。


ところがハンディを持っている人は、この通りの流れに沿って
生きているとは限らない。


もしかしたらこのような勧誘が、全く不適当な場合もあります。


それでも電話、かかってきたことあるよ~という保護者の方から
こんな話しを聞きました。



「お嬢様の習い事に、音楽教室はいかがでしょうか」

「勉強に不安があるなら、当社のスペシャル教材を使ってみて」

「予備校の夏期講習ご案内」


百花繚乱、様々な勧誘電話の中で一番笑ったのが、
本人宛にかかってきたことなんだそうです。


この方のお子さんの規子さんは、知的なハンディの他に
身体的なハンディ状況も非常に厳しく、
車椅子がないと寝たきりの状態です。


発語もほとんどありません。
(でも、表情はとても豊かです。)


そんな勧誘の電話が本人宛にかかってきた時、
電話を取ったのが規子さんの妹さん。


当時まだ小学校の低学年だったそうです。

「お母さん、規ちゃんあてに電話かかってきた。
 どうすればいい?」


幼い妹さんは、悩んだらしいです。


規子さんいますかと言われ、いると言えばいるし、
だけど規ちゃんはお話しできないし。


規子さんのお母さんはげらげら笑って、その後真面目な顔をして
言いました。


「よそ様はこれが当然と思って暮らしていても、
 その通りじゃない人もいるんだよね。
 
 少数派の人がいることを念頭において暮らさないと、
 気がつかない所で他人のことを傷つけてしまっている可能性が
 あるんだよね。」


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